人間が飛行機に乗って、初めて空を飛んだのはライト兄弟であることは皆さんはよくご存知だ
と思います。 しかし、彼らの初飛行より12年も前(明治24年=1891年)に、「飛行噐」を発明
した日本人がいたことは、残念ながらあまりよく知られていません。
彼の名は 二宮忠八(にのみやちゅうはち)と言います。
忠八は、香川県の丸亀部隊に就職しましたが、あるとき、カラスが滑空する様子を観察して、
羽を広げたままで空を飛べることを発見しました。
そして完成させたのが 「カラス型飛行噐」 です。 「飛行噐」 だから 「模型だ、ちゃっちいな」、
と あなどってはいけません。 発明の原点はそのようなもので、それが次第に改良されて実用性
が増すものなのです。 (日本のロケット開発はペンシル型から始まりました。 ◆ )
しかし、当時彼のまわりでは、「飛行噐」の研究は全く理解されませんでした。 明治の時代に
人間が空を飛ぶことなどは夢物語でしかありませんし、海外の知識が乏しい日本では、全く変人
扱いしかされなかったことだろうと想像できます。 (その昔、「たこ」で江戸城に進入しようとした盗賊は
あったそうですが・・・)
「カラス型飛行噐」考案発明からから2年後に、彼は 「玉虫型飛行噐」 という実用型機を設計
し、型製作をしました。 これは人が乗れる複葉の羽根をもつ機種で、これぞ世界初の実用となる
はずの機でした。 (ライト兄弟成功の10年前でした。) が、やはり廻りからの理解は得られず、
資金もありませんでしたので、実機製作はできませんでした。 (この玉虫型飛行噐は、平成3年
10月、忠八の設計図に基づいて製作され、故郷の八幡浜市で実際の飛行が確認されました。)
その後彼は勤めていた軍を退職し、この京都・八幡市に居を構え、なんとか自分の手で飛行噐
の製作を続けるべく奔走しました。
しかし発明人のつらさ、孤軍奮闘するもむなしく、1903年、ライト兄弟の初飛行成功の報を知り
彼の開発は断念せざるを得なくなったのです。
その後ぷっつり飛行噐の開発を断念した彼は、この男山の麓に飛行神社を建て、空で遭難、殉
職した人々の霊を慰め、また薬業の分野で新薬の開発などに生涯をささげました。
彼の生い立ち、詳細は下部のリンクページに掲載されていますのでぜひご覧ください。




ひ こ う じ ん じ ゃ
二宮忠八 翁
カラス型飛行噐



飛行神社












「飛行噐」または「飛行器」・・・ 現在、大勢の人を乗せて空を飛ぶ飛行機は
「機」という字が使用されているが、 当時忠八が初めて考案、発明したものは
「人が空を飛ぶことを可能にする物体」という意味合いがあるため、敬意をこめて
解説ではわざと 「飛行噐」(ひこうき)の文字を使用しています。 なお、 「噐」
(うつわ)は、当時使用されていた旧漢字で、「器」と「機」の両意を含む 「工」
の字が有されています。
初めてこの写真を目にしたあなたは、今の飛行機とプロペラの位置が全く違うので、
「 こんなの飛ぶはずがない 」 と思ってはいませんか?
そう思ったあなた、それは、「常識」を持っている貴方の、常識人としての錯覚です。
それは忠八が生きた明治時代当時の常識と、常識という概念(がいねん)は同じです。
私たちは学校で「流体力学」を学びましたネ。 またいまのプロペラ飛行機のほとんど
が、プロペラを主翼の前に持った飛行機であることを書物や映像で目にして来ました。
その経験、記憶が世間一般、そして、百年を経たいまでも「飛ぶはずがない」とおもっ
たあなたの「常識」なのです。 もちろん「飛ばない」と思う方ががあたりまえで、「飛ぶ」
と思った方は、よほどの航空力学の専門家で、「経験」を持った方に限られます。
ちなみに、私はン十年前にカラス型飛行噐レプリカを、下記「KFC」の協力で木津川
河川敷で実際に飛ばした経験があります。 飛びました。
発明はその常識を逸脱してはじめて生まれます。 忠八の「カラス型飛行噐」はその
発明であった訳です。 ただそれが「特許」という形にならなかったために後世に広く
認知される機会を逸したわけです。
後発のライト兄弟に越された翁の悔しさ、無念は、我々の想像を超えるものであった
に違いありません。
その後ぷっつり飛行噐の開発を断念した彼は、この男山の麓に飛行神社を建てて、
空で殉職した人々の御霊に祈りをささげました。
KFC・・・ 長年、忠八翁の偉業を
実行する 京都フリーフライトクラブ
→
讃岐ウィングス ラジコンクラブ・・・
カラス型・玉虫型飛行噐をラジコン機
で製作、飛行実施させたグループ
→
ジェット機のエンジン
航空安全祈願の碑
飛行神社正殿
零式戦闘機の機首部
二度と戦争のない、平和な
日本でありつづけたいですね。
民間航空機のプロペラ
薬種関連の庭

忠八翁と寿世婦人が眠る、
神應寺 正面
二宮忠八翁のお墓
航空幕僚長からの
忠八翁・寿世婦人顕彰碑
飛行神社祠
絵馬掛けを見る参拝者
願い事が叶いますように・・・
↑
八幡浜市・・・
故郷、八幡浜市HPでの彼の紹介です


飛行神社からほど近い、
石清水八幡宮一の鳥居前
の小径右奥の処にある。
写真提供 KFC
→
→

2005年4月29日には飛行船が男山の峰に
飛来して、忠八翁の偉業に敬意を表しました。
カラス型飛行噐の代表的モデル。
2004年4月29日に平城京跡公園で
行われた、京都フリーフライトクラブの
大会での1コマ、 カラス型飛行噐。
忠八翁が頭初発想のカラスにちなみ、
目を入れる、 主翼より後部および上部
位置に推力羽根、 尾翼は水平部のみ、
動力は40cm以内のゴム、を守り、毎年
競技を続けている。
飛ぶんですヨ これが!
京都 ナカムラ化粧品店


八幡市観光名所
香川県仲南町
二宮飛行神社例大祭
- 本神社の分社 -
← カラス型模型飛行器
の飛翔ムービー。
素人撮影につき画像が小さく
200%でご覧ください。
於 KFC47回大会
飛行神社 住所:京都府八幡市八幡土井44


注・・・ 下はリンクのページです。


注・・・ 枠内はリンクのページです。

― カラス型・玉虫型飛行噐の飛翔 ―
「二宮忠八」の名はたとえ知らな
くても、「飛行機」 という日本語を
知らない人はいない。 彼はその
名付け親になる訳だ・・・。

※ 讃岐WRCの解説に、カラスの頭の
部分が垂直翼になっていることが書かれ
ています。 (カラスをまねたものと思って
いた私は、全く気が付きませんでした。)
| 左社殿御祭神 | 中央社殿御祭神 | 右社殿御祭神 | ||
| やくそじん 薬祖神 |
にぎはやひのみこと 饒速日命 |
世界 航空殉職者之霊 |
||
| 薬業に関係の深い薬祖神を祀り 御祭神とする。 ・・・日本における医薬の祖といわれている神様は、大国主命(おおくにのぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)がよく知られている。 少彦名命は、いつもこの大国主命と一体で現れ、大国主命の知恵袋ともいわれている神様で、また童話『一寸法師』のモデルともいわれています。 ほか、薬業に貢献された方々の霊も祀られています。 |
・・・ 「饒速日命は、天津神の命令で天磐船(あまのいわふね)に乗り、河内の国河上の哮峰(いかるがのみね)に天下った。さらに、大以倭の国の鳥見白庭山に遷座した。」と「先代旧事本紀」にみられ、古代の「空の神」とされている。その河内の国(大阪府交野市私市)磐船神社の分霊と、空の神「饒速日命」を御祭神とする。 | ・・・内外の旅客機の遭難、その他の航空事故で亡くなられた人々、航空先覚者、世界の数多(あまた)航空事故物故者の霊を合祀し御祭神とする。 (平成14年2月現在で15万柱を数える。) ― 神社資料より |
